探しているもの_1
他人の気持ちがわからない。
誰かが真剣に悩んでいる様子を見かけると、心の底から驚く。
単純に共感ができないだけなのか、
他人の気持ちを考えることをしようとしていないのか、
自分がよければいいのか、
どれなんだろう。たぶん、というか絶対、全部だと思う。
バレンタインのとき、男性社員にチョコを準備する必要があった。
私はその前の年も経験したのだけど、予算の都合で適当に選ばれるそれらが嫌だった。
いつもがんばってる人たちに少しでも感謝を伝えたいと思っていたので、
誰かが不平等感を覚えないよう、イベントだからっておざなり感が出ないよう、
予算の中でその人だけと言った感じが出せるよう、自分なりの気を遣った。
でもそれは、結局は自分の中のバランスを保ちたかっただけで
自分の価値観を守りたかっただけなんだと思う。
もちろん喜んでほしかったのは本当だ。
でもそれにしてはあまりに自分が主役だったのではないか。
愚かな女よ。
誰も見ていないステージで、孤独に踊る馬鹿者よ。
…
自分がとんでもないエゴの塊みたいな存在であることは理解している。
他人が何をどう感じていようと正直どうでもいい。
他人は私の人生の責任を負ってくれる存在ではない。
人は誰かに助けられるのではなく、1人で勝手に助かるものだ。
でも、人は1人で生きていかれない。
それはよくわかっているし、私も例外ではないし、求めている。
だから他人の価値観や意見を参考にする必要もある。
あまりに自分本位だと、他人に迷惑をかけて共生できないからだ。
それに苦しむ。
他人が私の人格を形成する。
自分らしさを発揮できていない?
それはちょっと当たってるけど、ちょっと違う。
他人に必要とされたい。
他人に干渉されたくない。
人にはたくさんの矛盾があって、それとうまく付き合う必要があると思うが、
私はこの矛盾が良い均衡関係にない。
どちらか一方に振り切る。
バランス。
クソくらえだと思ってる。めんどくせえんだよ。
でもそのバランスを保つ鍛錬はしなければならない。
共生が必要だから。
しなければならない…
…
他人の気持ちに共感できないのは、
自分のエゴが強すぎるからという理由で説明付けていいのだろうか。
私は自分本位だから他人がどう感じていようが構わない、なのだろうか。
それもそうだとは思うのだけど、
エゴだけではない、何か決定的に欠けているものが私にはあるような気がする。
それを探している。
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