自分ラブレター

私がちゃんと私になるための衣装棚

愛猫ラブレター

 

愛してやまないあなたへ。

今でも愛している。昔実家で飼っていた猫の話。

 

 

メス。小柄で毛並みの長い血統種。

整った顔立ちで、いつもツンと澄ました感じを出していて

見た目も性格も気高い女性だった。

 

彼女の毛はベージュや茶色、こげ茶色でできていて、

その模様は三毛猫のようにまだらではないのだけど、

何と形容したらいいのかよくわからない模様。

毛は細く繊細で、どこを触ってもふわふわとしていた。

絡まりやすい毛なので、ブラッシングは週に3~4回。

ブラッシングをしてやるとツヤが増して、彼女の高貴さは際立つ。

それを彼女自身も知ってか知らずか、

手入れの後は窓際にスッと座って外の様子を眺めていることが多かった。

長くふくよかな尻尾をゆらゆら揺らして。

腹部だけ白く短い毛で覆われていた。

そのお腹もふわふわとしていて、

脚の付け根はその毛がくるくるとパーマみたいになっていた。

 

小柄な血統種なのだけど、彼女は同種の猫の平均と比べて+2~3キロはあったと思う。

食べることが大好きで、運動にはすぐ飽きる猫だった。

 

猫なのに、猫が嫌いだった。

たまに庭へやってくる野良猫に、フーフー怒ったり低い声で唸ったりした。

同時期に飼っていた犬のこともあまり好きじゃなかった。

何年も一緒にいて、ようやく同じ空間にいることを諦めながら認めた様子だった。

それでも犬が一定の距離に近づくと怒っていた。

人間に対してもすごく人見知りで、

その人間と何度も何度も会っていないと慣れずに怒っていた。

たとえ慣れても、その人に対しての彼女の興味の度合いはハッキリしていた。

 

母が大好きだった。

母は寝る時間がまばらだったけど、ベッドにはいるときは彼女もいっしょだった。

布団の中に潜り込んでいたという。

母は、彼女のごろごろ鳴らす喉やいびきがうるさいよと笑っていた。

朝5時くらいになるとベッドの上からジャンプをして母を起こそうと試みていたらしい。

ジャンプで起きなければ顔中ざりざりと舐めたり、髪の毛を引っ張ったりしたという。

朝ごはんの催促だ。

彼女は食いしん坊で、日中もごはんがないとき、

そこに母がいなければ私にすり寄って催促してきた。

高い声を出し、私の目をまっすぐ見つめ、

私が歩けばついてまわり、私が座れば手に頭をこすりつける。

私はさっき食べたでしょと言ってその誘惑を振り払う。

時間がお昼近いことを確認できたときは、その誘いに喜んで乗った。

一応彼女の中のヒエラルキー的に、

不動のトップである母に圧倒的な差があったものの、2番目は私だったようだ。

ときどき彼女のトイレ掃除をしていたことを知っていたのだろうか。

 

病院に行くことが何よりも嫌いだった。

専用のケースが出されると、逃げて回る。

母につかまりそこに入れられると、野良猫を見かけたときみたいに

ずっとフーフー言うか唸っていた。

ときに身体がブルブル震えていて、私はそのたびに泣きそうだった。

病院から帰ってくると、解放されたと喜ぶでもなく

病院に行ってしまったことによるショックを受けている感じがあった。

妙に生っぽい感情を持っていた。

 

彼女は太っていたせいか、フローリングの床を歩く足音が遠くからでも聞こえた。

トコトコ、はっきりした音を出す。

私はそれが可笑しくて、

ときどき床に耳を当てて彼女が作るその規則正しい音を聞いて1人で満足していた。

母がその私の様子を見て笑う。

私も、ねえお母さん、あの子が近づいてくるよ、と笑って応える。

 

休日の朝は、郵便ポストに入ってくる大量のチラシで彼女とじゃれるのが私の日課だった。

私は7時か8時頃に起き、週末に母が必ず買ってきてくれる様々なパンを選んで食べ、

母がダイニングでコーヒーをすすり、

父が頭の後ろで手を組みながらソファに寝そべっているリビングで、

テレビを流し見ながらチラシに目を通す。不動産の広告が多かった。

一通り読み終わると、同じくリビングでお腹を出している彼女をチラシで誘う。

最初は気怠そうにしているが、そのうち瞳孔をひらいて、

まんまるな目でチラシの行方を追い出す。

私はたまに大量のチラシを一度に床へ滑らせ、

父が不機嫌そうな顔を向けるのを無視して彼女の動きに注視した。

母は、やっぱり笑っていた。

彼女が一番好きだったのは、リビングのスライド式のドアの隙間からチラシを攻撃することだ。

ドアの隙間から出ているチラシを、そのふわふわの手でガシャガシャやったり

遠くから走ってきてチラシの端をとらえようとしていた。

彼女がその運動に飽きるまで続いた。

飽きるまでの時間は日によって変動が大きく、それは彼女の気分次第だった。

彼女がガシャガシャやったところは、薄く多数のひっかき傷がある。

 

何かのタイミングで母が夜自宅に不在だったとき、

私は自室のドアを開け放して眠りについた。

母にやっていることに近いことを、

もしかしたらやってくれるかもしれないと期待して。

こういう自分勝手な期待は外れることが多いものだが、

それは通例に反して嬉しいことに、彼女は朝、私を起こしに来た。

ジャンプはされなかったようだが、

ざりざりとした感触、髪の毛を噛まれた感触を覚えている。

私は急いで起きて、彼女にハグしたりキスしたりして、

いつも母がやっているように彼女にごはんを与えた。

ボサボサの髪のまま、彼女がごはんを食べている様子をずっと見ていた。

 

なんと満ち足りた日々だったか。

私は彼女と同じ月の生まれだった。

 

… 

 

彼女は私が大学3年のときに死んだ。

彼女が死ぬ瞬間を見た。

たしか午前中、母も仕事に行ったあと。

 

急死、というわけではなかった。

彼女が死ぬ数週間前くらいから、明らかに様子がおかしかった。

ずっとよろよろしていて、ごはんをあまり食べない。

横になっていても苦しそうな表情をしていた。

床に耳を当てたとき、聞こえる足音が弱弱しくて、私は悲しむことしかできなかった。

 

大学の授業に行く準備をしていた。

シャワーを浴びて、あまり施しても意味のない化粧をしていた。

私はリビングで支度をしないと落ち着かないので、

そのときももれなくそうしていた。

彼女はそのとき、私のすぐ後ろで横になっていた。

相変わらず苦しそうだった。

 

彼女の異変に気付けるよう、私はテレビを消していた。

チラチラ後ろを見ていた。

 

彼女が、突然咳のようなものをした。

けふん、けふふん。

私はすぐに彼女のそばに行き、身体に触れた。

けふん。けふん。

身体を震わせ、繰り返す。

最初は発作のようなものかと思った。そう願った。

でもその目があまりにも虚ろで、そうじゃない、と悟らざるを得なかった。

 

穏やかに逝ったとは思う。

けふふん、けふん、と何度か繰り返した後、

ぴたりとその咳のようなものが止んだ。

私は、ハッとしたような、縋りつくような気持ちで彼女を見た。

虚ろな目を開いたまま、動かなかった。

私はすぐに彼女の口元に手を当てた。

息をしているのか、していないのか、よくわからなかった。

心臓付近に触れた。

猫の鼓動は人間よりも速い。

トットトット

と、だが、その小気味のいいリズムは感じられなかった。

でも、まだ「確かめたところが心臓の位置じゃなかったのかもしれない」と思って、

でも、自分が何をすべきなのかわからなくて、

しばらく彼女をじっと見ていた。

彼女は動かなかった。

身体全体を触った。

硬くなってきていた。

周りの静けさが私を襲ってきて、怖くなった。

何度も彼女の身体を撫でた。

何度も彼女の名前を呼んだ。

彼女は一点を見つめたままだった。

その褐色に近いエメラルドグリーンの、透き通って綺麗だった目は

白っぽく濁ってきていた。

 

そのあとのことは断片的にしか覚えていない。 

何故か大学の先輩に電話をした。何を話してどう電話を切ったのかは忘れた。

我に返ってすぐ、彼女の目を閉じてあげねば、と思ってそれを実行した。

恐る恐る触れたとき、彼女が死んだ者であることを改めて自覚した。

目を閉じてやるのに思ったより力は要らなかった。

 

両親にどうやって連絡をしたのか、そもそも連絡をしたのかはわからない。祖母だったか。

もう次の記憶では、彼女は火葬されていて、庭に埋まっていた。

 

 

満ち足りた彼女との日々。 

もうこれまでに何度も彼女との生活を思い出している。

そのたびに気持ちが満たされ、同時に愛しさと悲しみで涙が出る。

 

愛おしい貴女へ。

優雅な顔立ちをした貴女へ。

食い意地が張っていて、歩いているとお腹が地面につきそうだった貴女へ。

大の字になってリビングの真ん中で気持ちよさそうに寝ていた貴女へ。

尻尾で私の顔を撫でた貴女へ。

私が甘えすぎるとめんどくさそうな顔をした貴女へ。

 

人間と猫は同じ天国と地獄の世界に行けるのかどうかはわからないけど、

また貴女に会いたい。

会いに行けるものなら、今すぐに。

 

 

 

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